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中国民法典制定における比較法問題
第1回アジア法フォーラム/2003年1月17日において
一、概観
     中華人民共和国民法典草案が全国人民代表大会常務委員会第31回会議に提出され、二〇〇二年一二月二三日に第一回の審議を経た。これは、中国にとっても、世界にとっても大きなできごとである。
     政治的側面からいえば、一つの国には、憲法を欠くことはできず、これと同様に、市民生活からいえば、一つの社会には、民法を欠くことはできない。これは、資本主義社会にとって言をまたないばかりでなく、社会体制の如何を問わず、市場経済の存在が認められるだけの社会にとっても同じ道理である。したがって、民法は憲法と双肩を担う基本法であり、さらに、一つの社会にとっては、憲法がなくても、民法がなければならないという議論もある。
     1949年の新中国成立後、かつて1950年代の初期と1960年代の初期に二度にわたって中国独自の民法典を制定しようと試みたが、いずれも失敗に終わった。その主な原因としては、当時の社会は、商品の存在、市場経済の存在が徹底的に否定されていたことにある。その後、改革開放の初期段階(80年代初頭)にもおなじことが試みられたが、草案が四回まで手直されたにもかかわらず、全人代会議の審議を経ずに、流産してしまった。当時の中国では、ソ連法の影響がなお強く残っており、社会経済の秩序を、ソ連法に基づいていわゆる経済法によって調整すべきか、それとも市場経済が発達した西側諸国と同様、民法によって調整すべきかという、いわゆる「民法経済法大論争」が行われていた。このような社会背景の下で、立法機関は、改革開放の方向性がなお明確にされていないことと、改革開放に伴って日増しに増加している取引には法的調整が必要であることなどに鑑み、民事関係を規律する立法を民法典の制定を待たず、まず単行法を先行させる方針に転換したのである。この二十数年来、社会主義市場経済体制の定着に伴って、民事関係の単行法は、量と質とともに向上しつつあり、現在では『民法通則』を基本法とし、『担保法』、『契約法』、『婚姻法』、『養子縁組法』、『相続法』などから民法の基本的な体系が形作られている。しかし、このような基本体系は、今日中国の市場経済の発展に見合うものではなく、むしろその発展の要求に程遠いものである。したがって、市民生活における各種の法律関係を包括する民法典の制定を必要とするわけである。
    
     二、審議草案の主な内容
     今回の全人代で審議された草案は、9編、すなわち、総則(117ヶ条)、物権(329ヶ条)、契約(454ヶ条)、人格権(29ヶ条)、婚姻(50ヶ条)、養子縁組(33ヶ条)、相続(35ヶ条)、不法行為(68ヶ条)、渉外民事関係における法律の適用(94ヶ条)、計1209ヶ条からなっている。
     このような膨大な法典のすべてを解説することは、かなり時間がかかり、また、審議段階にあるので、このような作業は、むしろ無意味であるように思われる。そこで、以下では、審議草案に過去の民事関係法と著しく異なった制度の変化をいくつか紹介することで、その責を果たしたい。
     第一に、訴訟時効の延長である。訴訟時効については、過去の民事法では、二年と定められ、短期時効は六ヶ月となっているが、今回の草案では、これを三年に延長している。立法説明では、これにより権利者に対する保護をより厚く与えるとしているが、国土が広く(交通・通信・情報の入手等に要する時間がかかるなど)、地域差が大きい(地域ごとの法認識、地域あたりの法院件数の違いなど)という中国の事情から、時効の延長は今回の審議草案において
     考慮されて当然といえよう。
     第二に、制限行為能力の年齢基準の切り下げである。制限行為能力は、日本民法の意思能力にあたり、従来の民事法では10歳と定められているが、審議草案では7歳に切り下げられた。その主な理由は、児童の小学校入学が大体7歳からであり、制限行為能力の年齢を10歳とすると、小学校側は小学校三年生までの児童に対して果たす義務が重くなるからだ、とされている。現在中国の都市部では一人っ子政策が徹底されているため、子供がどの家庭でもいわゆる「小皇帝」のような存在である。そこで、小学校側が小学生に対して本来負うべき安全配慮義務は、自然に拡大され、後見人なみの義務が課されるおそれがあるように思われる。したがって、このような制度設計は、上記のような不公平を排除する趣旨に由来するものであろう。
     第三に、建物の区分所有権である。近年来、都市部の住宅私有化により、住宅用高層ビルの所有権に関わる紛争件数が上昇している。審議草案がこの建物の区分所有権制度を取り入れたことは、むしろ社会の要請に応えたものであるといえよう。
     第四に、精神損害賠償である。今日中国の社会では、人格権やプライバシー権をめぐる紛争が増えつつあるが、現行民事実定法は、これらの紛争を処理するには無力なものであるといわざるを得ない。例えば、『民法通則』には、人格権に関する権利侵害の規定が極簡単なものしか設けられていない。一方、このような事態に対処するため、最高人民法院は、2001年2月26日に精神損害賠償に関する司法解釈を公布し、生命権、健康権、身体権、姓名権、肖像権、名誉権、栄誉権、人格の尊厳、人身自由など、人格権を中心に範囲を拡大して定められたが、実定法での制度設定が未だに完成されていない。審議草案は、この司法解釈を基礎にした上で、プライバシー権の侵害による精神損害賠償も肯定し、実社会からの実定法に対する要求に応えたものであるといえよう。
    
     三、民事立法における学者の役割
     1990年代中期から、法学者の民事立法における役割は日増しに目立ってきた。具体的にいえば、法学者が立法機関の委託を受けて法律の最初草案(日本では「試案」という)を作成するということである。今日までは、民事法関係において学者が立法に参与する必要性と重要性をもっとも示したのは、1999年に成立した『契約法』である。これは、中国の立法機関により学者に法律草案の起草を全面的に依頼された嚆矢となっており、また、起案から全人代の審議に提出する草案の作成までの全過程にわたって参与したことが注目に値する。この契約法は、今日までの民事立法の中では、最も規模の大きいものであるばかりでなく、立法の水準も過去最高であると、内外から評価されている。
     立法機関は、この契約法の立法が一段落となった時点で、当時の立法計画に基づき、物権法の起草を民法学者に依頼したが、これは後に諸般の原因で、民法典の起草に変更されたのである。物権法の起草が開始されてから、民法学界では、物権法の理論および具体的な民法制度に関する研究が漸次活発になってきた。これにともなって、学者の間では、物権法の具体的な制度ないし民法典全体の体系の設計、および理論の取捨について見解が分かれてきた。このような意見分岐は、民法学研究にとって大変よいことであり、また、立法に欠かすことのない理論準備にも資するものである。
    
     四、物権法立法における主な議論点
     物権法関係の議論は、主に以下の諸点に集中している。
     第一に、物権変動は、ドイツ民法の物権変動無因性理論を全面的に受け入れるか否か;
     第二に、中国社会主義体制からきたす公有制に関連して、国家所有権に対して特別に法的保護を与えるべきか、それとも集団所有や個人所有と
     同様の法的保護とすべきか;
     第三に、中国の伝統的な物権制度として「典権」という制度があるが、これを21世紀の民法典に取り入れるべきか否か;
     第四に、集団所有とされている農村土地に関する現行の用益関係については、都市部の国有土地使用権と並列して、農地と農家宅地使用権として設定すべきか、それとも現在の農村土地請負経営権として設定すべきか。
     二〇〇二年一月に全人代常務員会法律工作委員会により配布された物権法意見徴収案によれば、第一点については、ドイツ法理論が拒否され、その代わりに、スイス法を代表とする物権変動の意思主義に、不動産登記を効力発生用件とする制度が取り入れられた。第二点については、国家所有権概念が採用された。第三点については、「典権」の制度が取り入れられた。第四点については、農地請負経営権と農民宅地使用権として設定されている。
    
     五、民法典立法における主な議論点
     民法学者により起草された物権法草案が公開出版された後(梁慧星編著『中国物権法草案建議稿』社会科学文献出版社、2000年3月;王利明編著『中国物権法草案建議稿及説明』中国法制出版社、2001年4月)、全人代常務委員会法律工作委員会は、民法典の起草を学者と実務家に依頼して、立法の具体的な作業が正式に開始されたのである。このときから、学者の間では、物権法にとどまらず、民法典全体の制度設計、理論の取捨、体系の構築などをめぐる議論や論争がさらに活発化した。これらの議論、論争ないし論戦は、当初は主に学術的な会議や論文・著書において行われていたが、インタネット利用の普及にともない、論戦がインタネット上でも激しく行われている。論争ないし論戦の焦点は、社会科学院法学研究所研究員、教授梁慧星氏に集中している。梁氏は、契約法の起草から逐次に民法学者として民事立法において主導的な地位を獲得しており、民法典立法に関する基本的な考え方は、ドイツ民法典の五編構成という体系およびドイツの基本的な民法概念を採用して、各国の有用な民法制度を有機的に組み入れるというものである。その理由としては、中国の近代以来の法制度は、ドイツ法継受の伝統があり、現在にいたるまで、制度の設計、概念の使用などの面から見れば、基本的には大陸法系に属し、またドイツの影響が強く見受けられる点を挙げる。
     梁氏のこのような構想に対して、学者の間に異議を唱える者が数多くあらわれている。その代表的なものを以下に紹介する。
     第一に、孫憲忠教授(中国社会科学院法学研究所、民法)を代表とする観点である。これは、ドイツ法を採用するという点では同じであるが、ただし、ドイツ民法は一つのまとまった体系であるため、これを取り入れるならば、その体系の全体性を重視すべきである。したがって、たとえば、物権変動の制度については、物権変動の無因性理論と制度構造を全面的に取り入れなければ、その体系が崩れてしまう恐れがあると指摘する。
     第二に、ドイツ法の体系に拘る必要がなく、現代社会を踏まえて民法典の体系及び編立てを組みなおさなければならないという観点であるが、その代表的な学者は王利明教授(中国人民大学、民法)である。その主な主張としては、現代社会は、ドイツ民法典が成立した時代と比べて、大いに変化している。今日の社会では、財産に対するよりも人間自身の権利がもっとも重視されるようになっており、とりわけ不法行為法分野の権利侵害形態が過去よりかなり複雑になっているため、これらの変化には、ドイツ民法典の五編構成が対応できるものではない。したがって、不法行為と人格権は、独立した編として制定すべきである、といういものである。
     第三に、ローマ法に回帰すべきという観点があり、これは徐国棟教授(アモイ大学、民法)により主張されている。その主な内容は以下のとおりである。民法の源は、ローマ法である。ローマ法の精神は、未だに大陸法に貫徹されている。したがって、今日中国の民法典立法においても、この点を重視すべきである。さらに、ローマ法を土台に自国の国情に合わせて、各国の制度を取り入れて、制度および理論の体系などの面から独自の民法典を創出しなければならない。もっとも、ドイツ民法の五編構成が採用されるべきではなく、とりわけドイツ民法典のような「大総則」を採用すべきではない。総則の分量を縮小するか、完全に総則を放棄するかにすべきである。仄聞するところによると、徐氏は、各国の長を集め、自国の国情にもあわせた民法典試案を作成している。一方、徐氏は、民法典立法の大勢を示していた梁慧星教授の観点ないし梁氏個人に対して熾烈な批判をくわえている。たとえば、氏は外国語の能力を備えないため、外国法を十分に理解することが当然できておらず、中国の台湾や日本法しかわが民法典立法に丸写しのかたちで取り入れていない、などをあげることができる。
     第四に、大陸法の民法体系より英米法の体系がよいのではないかという立場からで、これは、江平(中国政法大学終身教授、民法)を代表とする観点である。つまり、大陸法系の民法典という伝統的な体系や概念などに拘る必要がなく、これを放棄して、英米法のような判例を中心とする緩やかな法体系を構成してもよいのではないかという考えである。
     第五に、物権という概念は、科学的なものではなく、これを財産権で取り替えなければならないというものである。この観点は、鄭成思(中国社会科学院法学研究所、知的財産権法)により主張されたものであるが、公開出版の学術誌に掲載した論文によるものではなく、中国社会科学院の内部機関紙『要報』に三回にわたって断続的に掲載されたものである。鄭氏は、財産権という概念が物権という概念より科学的なものであることを論証しようと試みている。そこでは、物権と債権を峻別するのはドイツだけであること、フランス法には、物権と債権という概念の変わりに財産権を用いられていること、また、英米法上も物権と債権という概念も峻別していないこと、を挙げ、その結果、財産権という概念を用いるべきであると結論付けている。
    
     六、物権法ないし民法典立法における議論に対する私見
     法学研究ないし社会科学研究の分野では、学者の間に観点や意見などの不一致が存在することは、本来極自然のものである。また、上述のような物権法ないし民法典立法に関する議論が活発になされているのは、中国民法学界における研究の進歩をあらわすとともに、民法学者からの民事立法に対する情熱と責任感もあらわしているといえよう。このようなことは、中国の民法学者にとって喜ばしく、また、誇りに値することであるように思われる。
     上記に紹介した物権法ないし民法典立法に関する議論は、基本的には、梁慧星教授に対する批判に集中しているが、梁氏は、これらに対して反論をしており、現在、まさに大論戦の幕が切って落とされたところである(中国民商法網www.civillaw.com.cn、法律思想網www.law-thinker.com、中国法学網www.iolaw.org.cnなどを参照)。
     筆者は、梁慧星教授を責任者とする民法典起草グループの一員として、民法典起草の具体的な作業に部分的に参与しているが、以下では一人の民法学者として、比較法の観点から、上記の議論に関する私見を述べさせていただくことにする。
     第一に、民法典の全体構成についてである。民法典の成立した時間から見れば、世界最初の民法典はフランスのナポレオン民法典(1804年)であり、その次は日本民法典(1898年)であり、三番目はドイツ民法典(1900年)である。日本民法典は、いわゆる「治外法権」の排除という歴史的な背景の下に制定されたが、内容はフランス民法とドイツ民法の両方を取り入れている。具体的にいえば、フランス民法典とドイツ民法典の第一および第二草案を参酌し、ドイツ民法の枠組み(五編構成)、およびドイツとフランス両方の民法概念と制度を融合して取り入れたのである。ドイツ民法典が成立して以来、各国の民法典はドイツ民法典の五編構成を採用したのが最も多かったが、近年来、オランダ民法典の成立により、過去のドイツ流五編構成が打破され、これは世界各国の民事立法および民法研究から注目されている。この点(事実)からすれば、ドイツ民法典の五編構成は論理上の合理性があるものの、現代の民法典立法はこの五編構成にこだわる必要がないと思われる。
     第二に、英米法モデルの取捨である。周知のとおり、英米法は、判例を基礎とする法概念や理論に基づいて形成された法体系である。これは科学性と実用性に富む面があるものの、制度の形成過程、および法制度運営のプロセスは、大陸法と対照的である。前者は、判例、つまり、裁判官が自由心証による裁量権に基づく判決から概念理論が抽出されるもので、後者は成文法により概念理論を構築し、また、これをもって裁判官の自由裁量を制限するというものである。さらに、両者を比較した場合、前者の概念理論および制度の構造は比較的に緩やかであるが、裁判官の判断水準に対する要求が高い。これに対して、後者は、概念理論および制度の構造は比較的に厳密なものであるが、裁判官に対する判断水準の要求がそれほど高くないといえよう。
     この点については、まず、中国の現職の裁判官の素質から考えれば、たとえ、大陸法系のような裁判官の権限を制限するという立法モデルを採用することにしても、法の実効性が保証されるか否かが大変心配される。このような社会実情を無視して、英米法のように判例理論や緩やかな構成で構築した成文法により、裁判官に法の創造を委ねるとするならば、裁判規則の混乱、裁判官の恣意、権利濫用の横行を招きかねないように思われる。したがって、中国の社会現実を踏まえれば、英米法モデルを採用する意見が賢明な選択であるといいがたい。
     第三に、大陸法系の堅持の重要性である。近代以来の中国法立法および法学研究は、大陸法系から乖離したことがない。中華民国時代に成立した民法典は基本的にはドイツ法の体系を採用しており、この民法典は今日も台湾地域において施行されている。また、中国国内の民法学界では、ドイツ民法を中心に大陸法の概念体系が用いられている。これらの事情から考えれば、大陸法の概念体系を援用し、ドイツ民法の五編構成を改造して、またこれを基礎にして英米法を含む各国の民法の有用性のある理論および制度を有機的に取り入れるという姿勢が現実にかなうものである。
     第四に、上記の問題に関連するが、各国の民法の長を取り入れて、自国の国情に合わせて民法典を制定するという意見は大変すばらしいものである。しかし、民法典立法には一体性が要求されるものであり、それには骨組みと血肉の両方とも不可欠であり、また両者の有機的な結合が必要である。そこで、問題となるのは、骨組みと血肉との相性、およびこの両者と母体たる社会的基礎との相性がきめ細かく検証されなければならないということである。とどのつまり、母体を基礎にして選択するなら、一つは、母体の受容力に合わせて相性のある客体を選出することであり、もう一つは、うまく機能しない母体を徹底的に改善するために相性の有無を考えずに客体を入れることである。パソコンをたとえにすれば、前者はバージョンアップのことになり、後者は新しいパソコンを組み立てるということになる。そこに共通する問題としては、いずれもまずは基礎になる最も重要な部品を選定したうえで、関連部品を選択することである。したがって、個別な部品に目がとらわれて、機械全体に使われる部品の相性関係が無視にされたとすれば、機械の組み立ても、法制度の組み立ても、ともに非常に危険な状態に陥りかねない。
     第五に、上記に紹介した議論には、欧米法との関係が深いものが数多く見られるものの、中国の慣習法に関する議論もほとんどみられない。一方では、先に紹介した議論の中にある、「日本や台湾の民法の丸写し」という梁慧星教授に対する批判に端的にあらわされた、一部の中国民法学者の姿勢がむしろ気がかりである。もっとも、民法典立法においては、自国の慣習を重要視しなければならないし、また、今日世界政治の多極化と経済のグローバリゼーションといううごきの中で、アジア諸国間における国際政治の共通性および地域経済の協同性を法制度・法学研究の側面からも探求することは、大変重要な意義をもつことは明らかであろう。このような意味で、今後は、今回のようなフォーラムを通じてアジア諸国間の学術交流をいっそう深めていかなければならないと考える。
    

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